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大阪地方裁判所 昭和42年(ワ)4519号 判決 1970年5月09日

原告

赤堀甚三郎

代理人

山上益朗

被告

タケダハム株式会社

被告

沢田治夫

右被告ら代理人

新垣忠彦

主文

一、被告らは各自、原告に対し金九二万円、および右金員に対する昭和四四年一月二五日から各支払ずみに至るまで、年五分の割合による金員を支払え。

二、原告のその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを一〇分し、その九を原告の、その余を被告らの各負担とする。

四、この判決の第一項は仮りに執行することができる。

五、但し、被告において、原告に対し金八〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実《省略》

第一 当事者の申立て

(原告)

被告らは各自、原告に対し金九三〇万円およびこれに対する昭和四四年一月二五日から各支払ずみに至るまで、年五分の割合による金員を支払え

との判決ならびに仮執行の宣言。

(被告ら)

原告の請求を棄却する

訴訟費用は原告の負担とする

との判決。<以下略>

理由

第一、本件事故の発生、並びに被告らの責任原因

本件追突事故発生の事実(請求原因第一項)並びに被告ら両名の責任原因事実(同第二項)については、事故態様の詳細、受傷内容並びに被告沢田の過失の一部を除き、当事者間に争いがない。従つて、被告会社は自賠法三条により、被告沢田は、民法七〇九条により、本件事故から生じた原告の損害を賠償する義義がいる。

第二、本件事故後の原告の収入減について、

一、事故前の収入

<証拠>を総合すれば、原告は、昭和三六年末以来、個人タクシーの営業を続けて来た者で、本件事故直前の六カ月間には、一カ月平均九万七七〇〇円の水揚げを得ていたこと、一方当時原告の車は新車であり、右水揚げ額からプロパン燃料の費用や修理費等の直接経費として、平均その12.3パーセントを控除したものが実収入となつていたことが認められるので、結局当時原告はひかえ目に算定して一カ月八万五〇〇〇円程度の実収入を得ていたものと認めるのが相当である。(但し、長期的に見ると、原告は右直接経費の他、三年に一度程度の車輛買替えの為の経費、車検費用、責任保険料等を支出する必要があり、かつ車が古くなると修理費も一カ月七〇〇〇円程度を要するようになる為、長期的な純収入としては、一カ月平均七万円とするのが相当である。)。

二事故後の収入

<証拠>を総合すれば、後に詳細に認定するごとく、原告は、本件事故(昭和四一年九月一日)直後から、訴外福島病院、大阪市立大学附属病院等で入通院治療を続け事故以来、自分では一切タクシーの運転をしていないこと、但し昭和四二年一月から同年一二月までの間は、一年間に限り、陸運局長の許可を得て、代務運転手を雇傭しこれにタクシーの運転をさせて(道路運送法三七条、三八条の事業用自動車の貸渡あるいは事業の管理の委託にあたると思われる)一カ月あたり五万五〇〇〇円の収入を得ていたこと(この点は争いない)、しかしながらその前の四一年中並びに四三年一月以降は、まつたく無収入であつたこと、及び、同年未頃にはもはや個人タクシーの経営を断念するに至り、相当高額な対価を得て、その営業権を他に譲渡してしまつたことが、それぞれ認められる。

三減収額

前一項認定の事実、証人計盛の証言、並びに前記争いのない原告の年令等を総合すれば、原告が、本件事故以降休業ないし廃業することなく、右個人タクシーの営業を続けていたとしたら、少くともこの時より数年の間は、前一項認定程度の収入を得ることができたものと推認されるので、結局これと前二項で認定した原告の現実の収入との差額が、一応、本件事故以降、原告において生じた減収額であると言うことができる。

第三、本件事故と右減収の因果関係について(その一)

原告は、本件事故により「むち打ち症」の傷害を受け、これにより休廃業を余儀なくされた結果、前項の損害を蒙つた旨を主張するが、被告らは右受傷の事実自体を争い、かつ仮にこの時原告が何らかの傷害を受けたとしても、その程度は軽微であり、前第二項において認定した原告の収入減と、本件事故とは、相当因果関係を有しない旨を主張する。

そこで、本項においては、この点に関して、後に総合的な判断を下す前提として、まず、原告の受傷の程度ないし症状の継続期間等に関連する個々の事実を認定することとし、以下、第一に、本件追突の状況ないし衝撃の程度について判断し、次に原告の治療の経過並びに症状の推移を概括的に見たあとで、第三に、原告の症状について下された多くの診断結果を分類整理しつつ、その客観的な証拠としての価値について、検討を加えることとする。

一、本件追突の状況及び衝撃の程度

<証拠>を総合すれば、被告沢田は加害車を運転して、時速約四〇キロの速度で被害車に追従していたところ、被害車が信号待ちのため減速停車したのを見て、一旦はその右側へ抜けようとしたが、対向車があつたため、急遽これを断念し、急ブレーキを踏んだが間にあわず、加害車は左右約七メートルのスリップ痕を残して被害車の右後部に追突し、被害車はその衝撃により約二メートル余り前進し、その前に停車していた特種貨物自動車にさらに追突したことが認められる。又、右証拠によれば、各車輛の破損の程度については、加害車の左フエンダー前部、左前照灯附近及びバンパー左端が約五〇センチ平方にわたり凹んでおり、かつ左側方向指示器のガラスが破損していたこと、一方被害車の車体後部右側テールランプ附近、及びトランク右端並びに右リャーフェンダーが凹損し、かつ、リャーフェンダーには約一三センチ程の穴があいており、又車体前部ではバンパー右端及び右側前照灯附近及びフェンダー、ボンネット等が凹損しており、修理費として全体で一二万円程かかつたことがそれぞれ認められ<反証排斥>。

追突による衝撃の程度を数量的に表示することは困難であるが、前記スリップ痕の長さ(但し、ホイールベースの長さも考慮に入れるべきである)、両車のフェンダー等の凹みの程度等から推して、本件追突の程度が、通常の例に比較して特に激しいものであつたと認めることはできない。

二、治療の経過並びに症状の推移

<証拠>を総合すれば、原告の治療経過並びに症状の推移は、次のとおりであることが認められ、これに反する証拠はない。

すなわち、原告は昭和四一年九月一日、本件追突の衝撃により、半ば失神状態となり、運転席に倒れていたところを、救急車によつて、大阪市旭区森小路訴外福島病院へ搬送され、当日「頸椎振盪症、むち打ち症、合併症なきかぎり約二週間の加療を要す」との診断を受け

(甲二号証、但し、当日付で同じく二カ月間の加療を要すとの診断書(甲一二号)証も発行されている)、同日より同年一一月一二日迄、約二カ月半の間、同病院に入院して治療を受けた。入院当初は軽度のショック状態にあり、左右上肢のシビレ感、項部の疼痛等を訴えていたが、ショック症状が消退した後も両手指の自発運動が阻害されており、シビレ感が存続し、握力は測定不能の状態にあつた。(ただし、この間、これらの症状の医学的な理解にとつて最も肝要と思われる神経学的諸検査、例えば諸々の深部反射の有無及び知覚検査等は一度も施行されていない模様であり、カルテには単に外見上の所見ないし愁訴が簡単に記録されているに留る)

続いて、同年一一月中旬頃、原告は右福島病院から、自賠責の強制保険金が限度額に近づいてきているなどの理由で退院の勧告を受け、又自らもより専門的な知識を有する医師を求めて、諸症状の完治しないまま同院を退院し、訴外北野病院脳神経外科に診断を求めたところ、ここから訴外大阪市立大学医学部附属病院整形外科へ紹介を受け(この点について、原告本人は「重傷であるので北野病院の手におえぬからと大学の方へ紹介された」旨を供述するが乙五号証によればこの点はむしろ、この時原告に、第五頸椎の変形、頸椎骨軟骨症という脳外科でなく整形外科の領域に属する病変が発見されたためではないかと推察される)同月二一日から「むち打ち症、及び頸椎骨軟骨症との診断の下に、同整形外科に通院を続けた。その通院程度は、四二年六月頃は三日に一度ないし二日に一度程度であつたが、その後急減し、月に三、四度となり、四四年五月頃には、二週間に一度位薬を取りにゆく程度になつている。

そして、この間、原告は頭痛、項部痛、両上下肢痛、シビレ感、四肢脱力、悪心、めまい、耳鳴、難聴、目のかすみ、言語障害、腰痛、歩行障害等の症状を訴えており、さらには、顔がゆがむ、眠れない、手を水につけられない、食欲不振、足がつる、倦怠感等の愁訴にも著るしいものがあつた。

また、原告は、この間一貫して、当初福島病院ですすめられて着装した頸椎固定用の軟性コルセット(カラー)を着用してきている。

なお、本件追突時の衝撃により、原告が頭部を打撲したことをうかがわせる事実は存在しないので、本件症状の理解にあたり、頭部外傷の合併を考える必要は認められない。

三、原告に対する診断結果(含鑑定)の検討

本件においては、原告の症状に関し、多くの診断書ないし意見書及びカルテが提出され、医師(証人石崎嘉昭、同吉田耕造)の証言が求められ、さらに鑑定人小野啓朗の鑑定が行なわれている。ところで、いわゆるむちうち症患者の症状については、一般に種々の原因から、相当程度にいわゆる神経症的な症状が混在する場合が認められ、事故と症状の因果関係の判断にあたつては、これらの単なる心因性機能障害(自分で思い込んでいるに過ぎない機能的障害)と目されるものと、本来の器質的な障害とを識別し検討する必要があると考えられる。従つて、以下この観点から、前記各診断所見について、これらが追突時に生じたと考えられる器質的な損傷の存在を推認させるに足る、客観的な病理学的所見として評価し得るものであるか否か、また逆に、これらは、原告の訴える症状が心因的な機転によつて加重され、あるいは意識的に誇張されて訴えられているものであると推認せしめることになつていないか否か、といつた点に重点を置きつつ、これらの内容を、各診断項目ごとに検討してゆくこととする。(なお、これらの内容を部分的に拾い出してゆくなら、原告の器質的障害について、肯定的結論も、否定的結論も論証されてこようから、以下の記述においては、敢えて、関連する各証拠(ただしカルテを除く)の内容を、ほぼ網羅的に掲記して検討を加えることとする)

1  自覚症状について

原告の自覚症状は、前記(第三の二)のとおりである。ところで、昭和四四年六月末頃、原告代理人の依頼により原告を診察した京都大学医学部附属病院医師吉田耕造作成にかかる診断書ならびに証人吉田耕造の証言中には、右自覚症状のうち頭痛、頭重感、耳鳴、眩覚、左手の疼痛、シビレ、嘔気等を、「間違いないものとしてある程度客観化できる」と指摘している個所がある。(甲二〇、二一号証では、これらの訴えは、客観的に認められる頸部筋肉の高度の萎縮に「伴う」ものとされているが、右証言によれば、この「伴う」の意味は、原因結果の関係を示すものではなく、単に「及び」の意味にすぎないという。しかして、同証人の証言によれば、同証人がこのように判断した理由は、確証があるわけではないが原告のこれらの訴えが総てのむちうち症患者の訴える症状に一致しており、かつ一定の圧痛点が認められたから間違いなかろうと判断したにとどまるというのである。ところで、原告の訴える症状の中には、後述するように、医学的な理解に苦しむようなもの、あるいは通常いわゆるむち打ち症の症状としては考えられない愁訴も相当混在しているのであつて、これらの点を十分に考え合わせることなく、単に原告の愁訴のうち、むちうち症患者に共通する愁訴のみを取り出して、その共通性のゆえに、これを客観的にも肯定できると断定することはいささか一面的にすぎると評さなければならない。

2  頸部運動の制限について

鑑定人小野啓朗(大阪大学医学部講師)の鑑定によれば、昭和四三年七月九日行なわれた臨床検査の際、原告は自ら、頸部の運動性が著るしく阻害され、あらゆる方向へ全然動かないと訴えていたにもかかわらず、実際には衣服の着脱などにとくに支障もなく、首は動き、又、同年七月一三日及び九月三〇日に阪大附属病院精神科において行なわれた市丸講師の面接の際にも、診察室に入室してくる時及び診察中は首を真直に立てて動かないような姿勢を続けていたが、事故の相手方を激しく非難しながら当時の状況を語る時には、首も手も自由に動かしていることが観察され、結局「原告の訴えるところの運動制限をそのまま客観的な所見として受取るわけにはゆかなかつた」(ただし運動制限が全然ないということではないと解される)との結果が得られている。

ところで、前出甲二〇、二一号証中には、この点について、右鑑定の時より約一年を経た時点において、「頸部運動は高度に制限され、伸展、前屈角一〇度以内、左右回転三〇度以内、両側屈はほとんど不能。ただしこの所見は受傷後今日迄(三年近く)ネックカラーを着用し、頸部運動を行なわない状態にあつたためと考えられる。」と指摘する筒所があり、これに加え、前記吉田証人は、右頸部運動制限が客観的所見であること、及びそれがネックカラーのせいであるというのは、その可能性があるという意味であることを証言する。右鑑定と、吉田医師の診断の時は、その時点を異にするのであるが、ともかくも、原告の訴える頸部運動の制限を必ずしも全部客観的な所見であると認めることはできず、又、後になつて頸部運動の制限が高度化しているとしても、右吉田証人も指摘するように、原告の、異常に長期にわたるネックカラーの着用のことを考えると、右運動制限をして、本件追突の衝撃による頸部支持組織の何らかの損傷に直接由来するものと断定することはとうてい不可能であり、かえつて、これらの症状の大部分は、頸部筋肉の萎縮等と共に、長期にわたるネックカラーの着装に原因するものであることが推察される。

3  圧痛点について

前出甲二〇、二一号証には、この点について「両側大後頭神経、両側頸椎横突起上に著名な圧痛を認める」と記載されており、その作成者である証人吉田は「ほとんどの鞭打ち症で大後頭神経に圧痛を認め、かつ自分の経験によると、両側頸椎横突起上に圧痛を認めると経過が長びくようである。原告の場合もむち打ちの特徴をそなえていると言える」と証言する。しかしながら、前記鑑定の結果によれば、「原告には頸部、項部、肩のほか、全身に局在の判然としない圧痛点が無数にあり、これらは必ずしも末梢神経の分布に一致していなかつた」ことが認められ、一方証人吉田の証言によつても、同人の右臨床検査は、圧痛点が末梢神経の分布に一致しているか否かとか、あるいは、その他に通常理解し難い圧痛点が存在していないか等を全身にわたつて調べ、その結果をも参考にしたものではなく、単にむち打ち症患者に通常認められる圧痛点が原告にも存在することを調べたにとどまることが認められ、かつ圧痛点の検査がその性質上、被検者の応答に頼らざるを得ないこと、被検者自体がたび重なる同種の検査を受けるうちに学習し、その検査の意図するところを知り、迎合的な応答をなすこともありうること等を考え合わせると、前記のような鑑定結果が示されている以上、証人吉田の行つた検査の結果を、何らかの器質的障害に結びつく他覚的な所見であると断ずることは必ずしも相当でないというべきである。

4、四肢の弱力、運動障害、手指の巧緻性等について

昭和四二年六月一四日、大阪市立大学医学部附属病院医師松井善邦が診断した結果作成された診断書(甲二号証)には「両上下肢の運動はほぼ良好であるが、全体に筋力の減少を認める」との記載が認められる。又、昭和四三年四月に、同病院医師石崎嘉明が診断作成した診断書(甲一八号証)には「四肢筋の萎縮及び弱力あり、但し知覚、運動系の障害に関しては器質的なものに基づいているのか否か断言できないが、恐らく機能的な因子も混在しているものと考えられる」と記載されており、かつ証人石崎嘉明(右同人)は、筋萎縮は客観的所見であるが、弱力の点については、被検者の真の協力がなければ、客観的とは言難い旨を証言している。

一方、前出甲二〇、二一号証には、「頸部諸筋肉の高度な萎縮を認める。両手指諸関節の屈曲は自動的にも他動的にも高度に制限され、握力は両側ゼロである。肘関節に於ける屈曲力は両側とも低下している。肩関節にて上腕挙上困難、膝関節伸展力低下、ただし両上下肢の腱反射に異常なく異常反射も認められず、筋電図の所見もほぼ正常で、下位モーターニューロン障害等は見られない。」「四肢の運動障害は筋電図にて神経の器質的損傷を認めないが、事実上握力その他が低下している。医学的解釈に苦しむ」旨の記載が見られ、かつ「(頸部諸筋肉の萎縮は)受傷後今日に至るまで、ネックカラーを着用し、頸部運動を行なわない状態にあつたためと考えられる。」「これら運動障害は、末梢神経の損傷による為との疑いは少く、受傷後より今日に至るまで、余り運動練習を行なわなかつた為との可能性が強い。但し(手指の運動障害については)福島病院からの通信文によれば、受傷直後より同じ運動障害があつたとのことなる故、心因性あるいは機能的障害ときめつける訳にはゆかない」と指摘されている。そして、右福島病院の診断書(甲一九号証)並びに報告書(甲二二号証)には、同院入院中(すなわち昭和四一年九月から同年一一月迄)、両手指の自動運動は不能もしくは高度に制限され、握力の測定は不能であつた旨の記載がある。

しかしながら、前記鑑定の結果においては、「握力は握力計によつては計測し難いのであつたが、しかも書類を持ち、手指の巧緻性についても悪くはなかつた。困難なはずのボタンの着脱が可能である事実は、真に運動障害のないことを示すものに他ならない。上肢、下肢いずれにも脱力の原因となる神経麻痺、筋萎縮を認めていないとされており、かつ原告本人尋問(第二回)の結果により、昭和四二年五月一〇日並びに同年一二月二二日に原告自身が全文を筆記したと認められる領収書の筆跡は、当裁判所での宣誓書における原告の筆跡とはちがつて、極めて流麗なものであり、これらの点からすると、右時点において、手指の巧緻性及び屈曲性が真に害されていたと解することには、強い疑問をいだかざるを得ない。また前掲証拠を総合すると、頸部諸筋肉の高度の萎縮、全身の弱力等については、事故後長期間にわたるネックカラーの着用及び運動を忌避した生活態度に由来する廃用性のものであるとの疑いが濃厚であり、これらが本件事故による直接的な末梢神経の損傷を意味するものと解することはできない。

尤も、証人吉田は、前記診断に際し、右ネックカラーの着用について、「神経損傷のためネックカラーをはずせなかつた可能性もあり、その方が一面強い。神経の損傷は、手指の屈曲が最初から出来なかつたことから考えられる。最初は心因的なものは全然無いと思うので、このことから両側の神経根、前根が損傷されていることは間違いないと思つた」と証言し、かつ「診察時以外の観察によつても、指の屈曲が相当制限されていると思つた。又当初から指の屈曲が制限されていたということは、屈曲の制限が心因的でないという証拠になる」旨を証言する。しかしながら、その前半の結論についてみれば、その内容は同証人の作成した前掲甲二〇、二一号の記述とも異つており、かつ前述の鑑定結果、検乙一号証の一、二、後述の知覚、反射の諸検査、伸展テスト等の結果に照らしても、さらには右証言が、被告代理人の反対尋問に対し、突然極めて一面的断定的になされていること等の事情に照しても、にわかにこれを首肯することはできない。又後半の部分については、当初の症状に心因的要素が考えにくいからといつて、以後長期にわたりその症状に心因的な加功が考えられないということは、当然には言えないのであつて、むしろ、心因的な加重は、当初自覚された器質的な原因による軽微な異常あるいは異和感を基礎に、これを拡大し、あるいは器質的な原因が失なわれた後も、なお同様の症状が継続していると思い込む等の方が通常であろうと考えられるから、右証言もいささか一面的に過ぎ、前記疑問に答えるものではない。

5、知覚、反射テスト、及び伸展テスト等の結果について

前出の甲二号証には「他覚的には全身の知覚鈍麻あり、上肢腱反射ほぼ正常、下肢腱反射減退を認める」と記載されている。又前出甲一八号証には「全身に高度の知覚鈍麻があるが、病的反射はない。知覚(及び運動系の)異常に関しては器質的なものに基づいているのか否かについて断言できないが、恐らく機能的な因子も混在しているものと考えられる。)と記載され、その作成者である証人石崎は、右の点について、知覚鈍麻の所見は主に患者の自覚的な応答にたより、客観的な検査ではない。反射テストの方は他覚的である旨を証言する。

前出甲二〇、二一号証には「顔面を含む両側身体の触覚及び痛覚低下、(これらに関しては)多分に心因的な要素が大である」とあり、かつその作成者である証人吉田は右に加え「上、下肢の腱反射に変りはなく、その他さまざまの異常反射もなかつた。頭圧迫試験等は陽性であつた(テストの方法は患者の応答にたよることになるので)全く客観的であるとは言えず、患者が教育される(テストの意図を解して適当に応答する)可能性もある」旨を証言する。

一方、前記鑑定の結果によれば、「損傷神経に関して、最も敏感な伸展テストは、いずれも陰性で、両上下肢とも腱反射は正常、表面反射に関しても、異常は全然ない。頭頂部から足指の先端に至るまで、知覚はすべて鈍麻していると訴えるが、たとえば指先端や、下腹部は良好な知覚を有するなど、神経学的にも、解剖学的にも理解し難い特徴を有していた。これは頸部における神経損傷としては、おこりえないものであるとされている。」

以上の諸証拠の結論は比較的よく一致しており、これらを総合すれば、知覚検査、反射テスト等の結果からは、頸神経根の刺激ないし損傷の疑いに対し、積極的にこれを証明するに足る十分他覚的な所見はなく、むしろ否定的な結論を得られること、並びに知覚障害の占に関しては、その訴が心因的な因子、あるいは意図的な誇張に発するものであることがうかがわれる。

6  発汗テスト筋電図検査について

前出甲一八号証(診断書)には「発汗テストではやや発汗の減少がみられる。筋電図検査では四肢筋にかなりの放電数の減少がみられた」旨の記載がみられ、かつ、その作成者である証人石崎は、この点に関し「発汗テストは比較的客観的である。筋電図については、ここで行つたのは、一般筋電図のテストであり、患者自体に(筋肉を)動かす意思が無かつたら、検査自体の信頼性は低下する。放電数の減少は、廃用性の筋萎縮による場合もある」旨を証言し、かつ甲一八号証の元となつたと思われる乙五号証(大阪市立大学附属病院のカルテ)によれば発汗テストも第一回の検査では異常が認められたが、第二回ではよく発汗したことが認められる。一方、甲二〇、二一号証には、前出のとおり筋電図の所見がほぼ正常であつたことが記載されており、かつ、その作成者である証人吉田は、通説的にいえば運動障害が末梢神経の損傷によつて起つている場合には、そのことが筋電図に表われてくる筈であるが、一説には筋電図は信用ならぬとも言われており、断定できない旨を証言する。以上を総合すると、結局、右両テストの結果に、特に異常とすべき客観的な所見が存在したとも認められない。

7  レントゲン検査の結果およびその評価について

甲二〇、二一号証には「昭和四一年一一月一七日(受傷後約二カ月半後)撮影のレントゲン写真にて、すでに第五・六頸椎間の狭少化並びに第五・六間椎体後縁骨造成像が著名である。これは、(受傷による変化はかような短期間には生じないので)受傷前よりあつた頸椎骨軟骨症と考える」旨の記載が認められ、又前記鑑定では「(昭和四一年一一月一七日撮影のレントゲン写真にて(第五、六頸椎間の骨軟骨症変化が認められるが、これは受傷により、もしくは受傷にひきつづいて生じた変化ではなく、明らかに一種の老化現象である。その他レントゲン像上に、骨折、脱臼、頸椎間の不安定症など、この種外傷に直接結びつけうる特有の所見はまつたく見出されない」との結果が得られている。

尤も、右甲二〇、二一号証の作成者である吉田証人は、右に補足して、受傷後二カ月半後のレントゲン写真では、その変化が絶対に受傷によつて生じたものではないと断言することはできない旨を証言し、かつ福島病院の報告書である前記甲二二号証では、受傷直後に撮影されたと考えられる他のレントゲン写真に関し「頸椎及び頭蓋骨にレントゲン的に異常はみられなかつた」と記載されている。しかしながら、右甲二二号証の内容については、受傷直後の右レントゲン写真も鑑定人の要求により、当裁判所の決定に基きカルテ類と共に福島病院から取寄せ、鑑定の資料として鑑定人に送付し、その後に前記鑑定意見が出されていること等、記録により明らかな事実、に鑑み、福島病院の担当医が右頸椎の変型を見落したか、(事故起因性が無いとして)カルテに書き落した可能性が強いと思われる。

以上の各証拠を総合すると、原告の頸部レントゲン写真には、本件追突の衝撃によると思われる特異な変化は認められなかつたこと、並びに、原告には、本件事故前より老化現象として第五六頸椎間の頸椎骨軟骨症が存在したことが、それぞれ認定される。

なお、前記甲二〇、二一号証には、右頸椎変形に関連して、「このような人が追突を受けると、普通人よりも高度の症状を呈することは明らかである。但し、もし受傷しなければ、症状がまつたく出ずに一生を過すこともあり、又自然に症状を現わすこともあるが、これ程高度ではない」との記載が見られる。これは、頸椎骨軟骨症の症状が、追突の衝撃により高度化すると読めなくもないが、右意見書及び証人吉田の証言を総合すれば、右は単に、頸椎骨軟骨症により、椎間板軟骨の狭少等があると、追突のショックにより、その部分が損傷等の傷害を受けやすいという意味にとどまり(以上は是認できる)、損傷を受けた証拠がこれであるという意味ではないことが認められる。

8  脳波所見について

大阪市立大学医学部附属病院医師山上栄が昭和四二年一〇月一三日診断作成した診断書たる甲五号証には「四二年七月三日の検査で、多少、脳波の出現が不良であつたが、他に異常所見はなく、同年一〇月九日の再検査では、全く異常所見が認められなかつた」旨の、又前出甲一八号証には「脳波所見では軽度の機能低下を認める」旨の各記載が認められる。但し、甲一八号証の記載は、その作成者である石崎証人の証言によれば、甲五号証と同じ検査結果によるもので、これを要約して表現したものにすぎないことがうかがわれ、かつ、乙五号証(同病院のカルテ)には、右所見が薬物の影響によるものであることが示唆されている。さらに、前記鑑定の結果では、脳波の異常は認められない。

以上の各証拠を総合すると、結局、原告の脳波所見に、本件事故による影響をうかがわしめるに足るものが存すると認定することはできない。

9  眼科、耳鼻科的所見について

大阪市立大学医学部附属病院医師川口暢彦が昭和四二年一〇月二日診断作成した診断書たる甲四号証には診断名として「遠視(両)」、所見として、「視力右0.3、0.5X+1.0D、左0.3、0.4X+0.5Dにて、矯正視力不良であるが、視野正常で、眼底には視力障害の原因と思われる所見は見られない、患者は追突事故後視力障害、乱視を訴えているが、眼球には、異常を認めないので、追突事故により急激な振動が脳底に加わり、視路に何らかの影響を及ぼし、上記症状を発症せしめたものと推察される」旨の記載が認められ、前出甲二〇、二一号証には「両側乱視、両側視神経萎縮の疑いがある。左右視力0.2、左視野は軽い高度の求心性狭窄がある。(この所見は外傷と関連ずけることはむずかしい)」「眼科診の所見では受傷と関係ない他覚所見があるが、他覚的に何ら所見のない場合でも、頸部損傷に際して、眼のかすみを訴えることは多い」旨の記載が認められる。

一方、前記鑑定の結果(鑑定意見の基礎となつた大阪大学医学部東医師の検査結果)には、「視力右0.3(0.5X+Sph1.0D)、左0.3(0.5X+1.0D)、視野、量的視野でややイソプターの抑制を認める特定の欠損を認めず。視力視野は測定日により動揺著明で、矯正0.1の時もあり、0.4の時もあり、視野も極端に狭窄と測定される時もあり、調節は1.5D乃至2.0Dを調節巾として認める。眼科的には器質的異常を証明し得ず、調節力低下および視力・視野などの視機能低下については、心因もしくは薬剤(内服薬等)の影響などの因子を考慮すべきものと考える。」とある。

以上の証拠を総合するに、甲四号証の内容は、客観的臨床所見の見出せぬままに、単に原告の訴えるところにより、その視力傷害等を事故に結びつけたものにすぎないのではないかとの疑いが強く、一方加令による影響や、その眼科的愁訴に多少の心因的な要素の混入が疑われる点などを考え合わせると、結局、以上の証拠からして、原告の訴える眼科的諸症状の事故起因性を客観的に肯定することはできない。

次に、耳鼻科的所見については、前出甲二〇、二一号証に、「両耳六〇デシベル以上の聴力損失を認め、平衡機能検査では、軽度の立ち直り障害を認める」「聴力障害に関しても、すべてが受傷による器質、機能的障害とは言い切れず、心因的要素大である。」との記載があり、又前記鑑定の結果(鑑定意見の基礎となつた阪大医学部松永医師の診断結果)では、「軽度神経性難聴があるが、年令による生理的変動も考えたい。平衡機能検査で左右末梢迷路障害は特になく、むしろ正常に近い。結論として、他覚的所見に乏しく、積極的にむち打ち損傷との関係を云々するのは難しい。」とされている。

10  精神神経的所見について

前記鑑定の結果(鑑定の基礎とされた阪大医学部市丸講師の診断結果)によれば、「原告は、被害者、裁判官に強い不満を抱いており、鑑定を受けることについても不満であり、非協力的である。自覚的訴えは多く、執拗であり、その態度は誇張的、演劇的であつたが、それを裏づける他覚的所見は、神経学的診療、脳波検査において認められない。知能テストでは軽度の異常を示し、ロールシャッハ性格テストの結果では、原告は情緒刺激に対面すると、混乱を起しやすく、全体(場)を見とおすことができなくなり、視野が狭くなるようである。杓子定規でのみ安定している人であり、それ以外の思考の豊かさはみられず、又視野の転換のできにくい、柔軟性に欠ける人格であると、その性格が特徴づけられる」と判断され、右鑑定の結果は、原告の当裁判所における供述内容、態度等弁論の全趣旨に照らしても首肯されるところである。又、前出の甲一八号証においても、心理テストの所見では、神経衰弱状態及び機能的異常を認めるが、器質的な病変は認められないとされている。

乙五号証中にも、原告の心気症的傾向を示唆する記載がみられる。

11  総合的所見について

以上、本件における各診断書、およびその作成者たる医師の証言の内容、並びに、鑑定の結果を便宜上、診断科目ごとに分類しつつ、各別に検討を加えてきたわけであるが、これらはいずれも、その作成者なり、証人なりが、それぞれの診断所見を総合して、医師として全体的な判断を下したものであるから、以上に加えて、その結論的な部分についても、各証拠の内容を総合的に検討してみる必要がある。

ところで、本件においては、以上に引用した証拠の外にも原告についての診断書として、本件事故当日である昭和四一年九月一日訴外福島病院院長福島文信の作成した診断書である甲一二号証、及び翌四二年一一月七日、同人の作成した診断書(証明書)たる甲一九号証が提出されている。しかして、右甲一二号証、一九号証によれば、前記(第三の二)のように右福島医師は原告に対し、「頸椎振盪症、むち打ち症」との診断を下し、合併症なき限り約二カ月間の加療を要す(甲一二号証)」としたことが認められるが、右診断書には結論が示されているのみで、何らの診断根拠も記載されてはおらず、その「むち打ち症」なる診断名の意味するところはきわめて不明確であり、いずれにしても、受傷初期の診断にとどまるものであり、かつ前記第三の二に指摘したような事実もうかがわれるので、結局、その後の原告の症状が器質的な原因に基くか否かの証明にあたつては、特に価値を有しないものと考える。

さて、前出甲二号証によれば、前記松井医師は、右4・5項に引用した所見等を基に「むちうち症、及び頸椎骨軟骨症」との診断を下したことが、前出甲四号証によれば、前記川口医師は右項に引用した所見等を基に「遠視(両)」との診断を下したことが、前出甲五号証によれば、前記山上医師は「むち打ち症」との診断を下したことが(但し所見としては右項に引用した脳波所見のみしか示されていない)、それぞれ認められる。

さらに、前出甲一八号証ならびに証人石崎の証言によれば、同医師は原告に対し「頸椎むち打ち症、兼頸椎骨軟骨症」との診断を下していることが認められるが、しかしその多くの所見は厳格には他覚的とは言難く、かつ心因的なものがかなりの程度に加味していると診断していることは、右4・5・6・10項で引用したとおりである。

前出甲二〇、二一号において前記吉田医師は、頸部運動制限、頸部筋肉の高度萎縮、諸愁訴、並びに頸椎骨軟骨症をまちがいのない客観的所見とし、知覚傷害、反射テスト、筋電図所見、眼科、耳鼻科的所見等の面で消極的であることは、すでに右1・2・3・4・5・6・7・8・9項で引用し、かつ個別的に検討を加えてきたとおりであるが、同号証には結論として、「訴える大部分の症状は、むち打ち損傷による後遺症として固定したものと考えてよいが、一部心因的要素による障害が混在していると考えられる。」と記載されており、同医師の証言においても悪い所がたしかにあるということが強調されたうえ(ただし、その事故起因性は明らかでない)同趣旨の結論が述べられている。

右吉田医師の診断結果についての、本件民事損害賠償訴訟における証拠としての価値(患者に治療を依頼された医師としての診断結果に対する評価を論ずるものではない)については、すでに個別的には述べてきたとおりであるが、なお鑑定の結果のそれとの比較において、一般的に次のようなことが言い得よう。すなわち、弁論の全趣旨ならびに同医師の証言によると、右診断は、鑑定の時よりもさらに一年を経て、事故の三年弱後になされているのに、原告の症状と事故との因果関係あるいは心因加重の経過を知るについて重要と考えられる初期の診断所見ならびに症状の経過については、単に福島病院からの通信文(甲二二号証)と、前記レントゲンフィルムが参照されているだけで、諸々の検査を行いつつ、原告を二年以上にわたつて診療してきた大阪市立大学医学部附属病院の詳細なカルテ(乙五号証)などが参照されていないと認められる点で、しかも同医師が原告を診断したのは、すでに原告の自覚症状等の矛盾を鋭く指摘した詳細な鑑定書が提出され、原告においては医学的な精密検査の目的、結果、あるいは鑑定医の観察の目のむけどころ等を知つた後に、その結果を不満として、損害賠償請求の資料としての意見書の作成を求められたものであるのに、前述してきたところによると、必ずしもこれらの事情に十分な配慮が払われたものとも認めがたく、また鑑定の場合と同様に終始批判的、検証的視点が保持され続けたとも認められない点などで、結局その訴訟上の証明力については、一般的に鑑定の結果には到底およばないものと評さなければならないのである。

次に、前出の鑑定の結果においては、すでに右2・3・4・5・6・7・8・9・10項において引用した所見、その他を基礎に、結論として、「四肢、躯幹、頭部に関する愁訴は多様であるが、臨床所見では、客観的にみて、脳神経、脊髄神経に器質的障害があつて、それをひきおこしているとすべき異常は証明されない。もとより頸の深部の靱帯、筋肉などの損傷については肯定も否定も困難であるが、愁訴は明らかにこの種支持器官、運動器官のものではなく、神経系に関与したものであり、又支持、運動器官の損傷ならば、たかだか数カ月で治癒するのが通例である。」「以上要するに、整形外科、脊椎外科の見地からすれば、原告の訴える苦痛、不自由が、頸椎の急激な過屈曲、過伸展による器質的傷害によることを積極的に示す事実は証明できなかつた。」「又、脳幹部の損傷を敏感に反映する耳鼻科、眼科の各所見、さらには精神神経科の所見を加えても、いずれも傷害の事実を積極的に示す所見はえられず、傷害とは直接結びつかない心因性の機転が、愁訴を惹起したと思わせるふしがある。」「医源性であつたか否かの証明はむずかしいが、心因性加功の疑い」が濃いとされている。

なお、弁論の全趣旨並びに同鑑定書によれば、右鑑定は、福島病院のカルテ、レントゲンフィルム、大阪市立大学医学部附属病院のカルテ、北野病院のレントゲンフィルム等をも資料とし、昭和四三年七月九日から同年一〇月七日迄の間に行なわれた大阪大学医学部附属病院の各科(整形外科、眼科、耳鼻科、精神神経科)の諸検査を総合しつつ、「原告が現在も訴えているさまざまな苦痛、不自由が、四一年九月一日の被追突に由来するという積極的な医学的証拠があるか否か」に焦点をあててなされたものであることが認められ当裁判所はその方法論に一般的な信頼を置くものである。

第四本件事故と減収の因果関係について(その二)

右第三項(因果関係その一)において検討してきたところを基礎に、それらを総合して、当裁判所は、原告が「むち打ち症」の傷害を受け、多くの後遺症状を残すに至つた旨の原告の主張に関して、次のように判決する。

一、原告の現在訴える種々の症状は、これを客観的に証明するに足る他覚的な異常所見に乏しく、かつ、これらが事故によつて生じた身体の器質的損傷に由来するものであることを認定することはできない。

二、一方、原告の症状をすべて詐病であると断定することはできず、かえつて、その症状の相当部分は、いわゆる精神神経症ないしは心因性目的反応として理解するのが相当であり、その事故との因果関係の有無については、なお検討を要すべきものがある。

三、その他に、原告が、事故後長期間にわたつてネックカラーを着装し、かつ運動を忌避して来たことに由来するとみなされる客観的な諸症状が認められる。

以下においては、右の結論を詳述すると共に、このような性格の症状を理由として、事故後、原告主張にかかる経済的な損害が発生した場合に、なお右損害と本件事故との間にいわゆる相当因果関係を認めることができるか否かについて検討することにする。

一、事故を原因とする器質的障害は他覚的に認定し難いことについて、

1  この点に関して、いわゆるむち打ち症は他覚的所見に乏しく、病理学的にも解明しつくされていないということが一般的に言われているのであるが、神経症的なものをも「むち打ち症」に含めるというのなら格別、長期間にわたり相当程度の後遺障害を残すような症例あるいは本件原告の当初の主要な症状となつている神経根症状などについては、神経学的諸検査等の一般臨床検査、レントゲン検査、自律神経テスト、前庭機能検査等々の補助診断法などの詳細な諸検査を細心かつ正確に行うことにより、かなりの異常所見を発見し、事故の衝撃によつて生じたと考えられる身体の器質的な損害を推察することができるのであつて、当裁判所は、かかる診断によらずに、安易に原告の訴える症状をそのまま事故に起因する後遺的障害として認定することは相当でないと考える(但し2項参照)。

ところで、本件においては前項迄に詳述して来たように、原告について詳細な諸検査が行なわれたにかかわらず、結局他覚的所見に乏しく、かえつて一部には心因的な要素による症状の加重が疑われているのであり、かような事例においては、より一層、事故による身体の器質的な損傷の存在を推測させるに足る客観的な証拠が提出されないかぎり、原告本人尋問の結果等により、その症状の存在並びに物理的な意味における事故起因性を認定することは、妥当でないと考えられる。

2  原告の後遺的な障害については、右のように断じうるのであるが、本件においては、その当初における症状並びにこの時の休業の必要性について、同様に論ずることはできない。

なぜならば本件においては、前記認定にかかる追突の状況、その時の原告の意識障害、甲二二号証によつて認められる事故直後の手指の屈曲障害等の事実に照らして、この時、原告に一過性の脳幹障害ないし脊髄等の振盪あるいは神経根部の刺激等により、一時的な神経症状が生じた可能性が強いこと、および、頸椎諸関節の運動許容範囲を越える追突時の運動強制により、頸部の軟部支持組織の何らかの損傷及びこれに続く炎症反応等が生じた可能性が強いということは、容易に推認することができるからである。しかしながら、これらの原因による症状は通常いずれも一時的なもので、事故後安静を保ち適当な治療を受けることにより、徐々に軽快してゆくものであり、前記のように原告が高令であつて、かつ事故前より頸椎椎間板に退行性の変化がみられ、損傷を受けやすい状態にあつたこと等、前掲証拠により認められる諸般の事情を考えあわせ、十分な余裕を見たとしても、原告の個人クタシー営業に何らかの障害を及ぼす程度の症状が事故後半年間を越えて存続したと考えることはできない。(もちろん、他の原因による症状が残存することまでを積極的に否定するのではない。それらの症状の存在および事故起因性については真偽不明であるというにとどまる)

しかして、右半年間の範囲内においても、タクシー運転の業務を完全に休業するまでの必要が医学的に認められるか否かは問題であるが、前記認定(第二の二第三の二)のごとく、原告がこの間、現実に休業して入、通院等を行い療養に専念していること、並びに四カ月目から代替運転手を雇傭していること(第二の二)等の事情に照らし、その間における得べかりし利益の喪失は、本件事故に相当因果関係ある損害として認容するのが相当である。

二、精神神経症ないし心因性目的反応と理解される症状について

1  前第三項における検討、原告本人尋問(第一回、第二回)の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、原告の訴える症状の一部に、多少意識的な誇張も混在することが疑われる他、前記認定にかかる、頸椎の頸椎骨軟骨症様の顕著な変形、あるいはその年令(第二回本人尋問時に六〇歳)による生理的変調等に由来する症状も又、混在しているということは容易に推察されるところである。

しかしながら、原告の訴える愁訴のかなりの部分は、必ずしも、右のみによつては理解し難いものであり、一方、右原告本人尋問(第一回、二回)の結果並びに前第三項掲起の各証拠に照らして、これらをすべて、損害賠償金等を目的とした意図的な詐症であると理解することもまた相当でない。

ところで、いわゆる「むちうち症」の症状の加重あるいは長期間にわたる存続について、心因的な要素による影響が強く見られることは、すでに多くの医家の指摘するところであり、かつ本件においても第三項において掲げた各診断書並びに医師の証言において明確に診断されているところであり(第三の三の4・5・9・11他)その他右第三の三の10に指摘したような原告の精神神経科的所見に照らし、当裁判所も、前述のような原告の愁訴の理解については、意識的な誇張等とは別に、より潜在的な心因性の症状加重を想定すべきものと考える。すなわち、その訴える症状の一部については、原告自身が、実際に存在しあるいは過去に存在した軽微な症状を、意識下の心因的な原因ないしは精神のある程度の病的欠陥により、誇大に意識し、あるいはまだ存続しているように思い込み、多様な症状を自覚してこれを他人に訴え、かつ自ら労働不能であると信じ込んで働こうとしない状態にあるものと理解されるのである。

しかして、人間の活動が身心の健全な協合によつて維持されているものである以上、心因加功一般をして、法的に事故と相当因果関係を有しないとすることはできない。そして、このような場合に於ても、少くとも事故さえなければ、その傷害の結果に関して、そのような精神神経症的症状ないし心因性目的反応も生じなかつたであろうという関係が認められることに注目するならば、むしろ加害者は原則として、これの損害をも賠償すべきであるとも考えられよう。

しかしながら、当裁判所に顕著であるむちうち症による損害賠償訴訟の一般的な実態ならにびいわゆる「むち打ち症」について論ぜられている「心因加功」の実態(例えばむち打ち症の症状と名称を最初に紹介したH・E・クロウが後にはこれをすべての訴訟が解決するまで完全には治療し得ぬものとして記述していることや、原告がその主張四で指摘するような賠償問題と症状の維続との密接な関連を示す統計の存在はよく知られているところである=乙一号証ないし乙四号証参照)並びに人間の心理において、潜在的なものと顕在的なものとの区別も、ある程度までは相対的なものにすぎないこと等の事実に照らしても、いわゆる心因加功、ないし心因性反応の問題を、その原因の潜在性の数のみにより先の様に一方的に割切ることは、損害賠償制度の理念に忠実なゆえんではなく、その賠償義務の範囲を画すべき相当因果関係の有無の判断にあたつては、当該神経症等の本性と起因の理解について、より慎重な検討が必要であると考える。そして、当裁判所は、仮に前述のような心因加重の背景に、例えば事故をきつかけとして生じた被害者のより多額の損害賠償金への潜在的な欲望、あるいは、これを基に過去の困難な経済状態から抜けでようとする潜在的な意図、あるいはいわゆる病気への逃避等、事故そのものとは無関係な被害者自身の人格的な責任領域に属する事情が関与し、その神経症的症状を発現せしめていることが疑われるならば(いわゆる反証の程度で足ると考える)、これらによつて生じた損害をもあえて加害者に負担させることは正義の感情にたがう結果となるので、結局、これらの損害は事故との相当因果関係を否定さるべきものと考える。

2  ところでいわゆる心因加重において、その心因を分折することは極めて困難な仕事であるが、前項のような観点に立つて、本件を見ると、原告本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合して、次のような諸事実が認められる。

すなわち、原告は事故当時五七歳で、すでに長年にわたりタクシー運転手としての激務に従事し身体を酷使してきた者であるが、当時は個人タクシー運転手として中程度の収益を上げていたこと、その年令等からしても、今後なおタクシー運転手としてかなりの収益を上げることは、早晩不可能になることが予想されていたこと、又、当初被害者から相当の金員を受領したが、その後示談関係がこじれ、内部のもつれから、個人タクシー協会の理事等もこの交渉から手を引くに至り、賠償問題を廻つて、紛糾が続き、これが原告に相当な心理的緊張をもたらしたであろうこと、そしてついに本件訴訟を提起するに至つたが、その主張する損害総額は一〇〇〇万円に近く、仮にその何割かが認容されるとしても原告の従来の収益に比べ相当な額に昇ることが予想されながら、右認容を予想される賠償額は、ひとえに原告の後遺障害の度合にかかるという状態が、事故後一年たらずで形成され、かつ長期間継続したこと等である。これらの事実の他精神神経科的診察の結果などにより認められる原告の前記のごとき性格等(第三の三の10)、弁論の全趣旨により認められる原告の賠償全額に対する非常な執着、さらにはその愁訴が多彩を極め執拗であること等諸般の事情を総合すると、原告の精神神経症的症状の発現の潜在的な背景として、賠償性の機転の存在が相当程度に疑われるのであり(いわゆる賠償神経症)、前項に述べた立場に照らし、仮にこのような症状によつて被害者がその営業を休んだとしても、これによる経済的な損害と、本件不法行為との間に、相当因果関係を認めることはできない。

三  ネックカラーの着装等による症状について

昭和四四年六月末頃、原告には相当程度の頸部運動制並びに頸部諸筋肉の高度の萎縮が見られ、かつ昭和四二年頃から四肢筋の弱力、運動障害等が認められたこと、並びに、これらの症状のうち客観的に認められるものについても、その原因は、原告が、事故後長期間にわたり頸部固定用のネックカラーを着装したこと及び四肢の運動を忌避し、特異な生活を続けたことにあるとの疑いが濃厚であり、これらの症状が本件事故による直接的な結果であると解することはできないことは、すでに第三の三の2及び4で認めたとおりである。

ところで、頸椎固定用のプラスチック製軟性カラーは、受傷初期において頸部の安静固定を行い、損傷された頸部軟部支持組織等の回復をはかるため使用されているものであるが、これを無反省に長期間連用することについては原告における場合のように弊害を伴うことなどからその使用は、前出吉田証人の証言にも見られるごとく、通常数カ月間に限られているものであり、かつその使用にあたつても、誤つて頸部を過伸展位に固定したりすることのないように(これを行うと、むしろ逆に症状を増悪固定させる結果となる)その高さを調整する等の注意が必要とされるところ、原告は、当初右カラーの着装を福島病院の婦長より指示された旨、並びにカラーは高いほど具合がよい、これをつけないと耐えられない旨を供述するだけで、その他、その後の長期間にわたるこれの着装について医師の適切な指示を受け、その指導に従つた旨の証拠はなく、また前述のごとく(第三の三の4)原告の客観的を症状からしても、その後のこれの着装の必要性も認められない。

そして、右原告本人尋問の結果によれば、結局、原告は自らの判断で、すでに詳述したような主に心因的な諸症状の緩和のために、三年以上にわたつてこれを着装し、かつ積極的な身体の運動を忌避し続けてきたものと推察せざるを得ない。一方また、先のごとき頸部筋肉などの廃用性の萎縮は、その損傷としての性格も、本件衝撃によるいわゆるむちうち損傷とはまつたく異質のものであり、単なる事故後における損害の拡大として過失相殺の観点から評価するのも相当ではない。従つて結局、右のような事情を慰藉料の斟酌事由とするは格別(後述)、右廃用性萎縮等による経済的損害(これが確定できるとして)を本件事故に相当因果関係ある損害と評価することできない。

四  結論

以上詳述したところによれば、結局、本件事故以後の原告の休廃業による喪失利益(第二の一ないし三)のうち、事故後半年の間における喪失利益については、本件事故との相当因果関係を肯定することができるが、その後の休業ないし廃業に基づく喪失利益については、本件事故との相当因果関係が明らかでないと言わなければならない。

しかして、右半年間における喪失利益を計算すると、前記第二の一ないし二に認定したところに基き、当初の四カ月間は一カ月あたり八万五〇〇〇円、後の二カ月間は代務運転手により一カ月五万五〇〇〇円の収入を得ていたので、その差額一カ月あたり三万円、と認められるからその合計は四〇万円となる。

第五原告の精神的損害に対する慰藉料について

前述のごとく、原告は、本件追突の衝撃により、第四の一の2に認定した程度の、いわゆる「むち打ち症」の傷害を蒙り、当日より約二カ月余の間福島病院に入院した外第三の二において認定したように、その後も大阪市立大学医学部附属病院に相当回数通院し、その間多くの自覚症状を覚え、そのために長年営んで来た個人タクシーの営業を休業し、最後にはこれを廃業するに至つたことが認められ、これらにより原告は甚大な精神的損害を蒙つたことが認められる。

しかして、一方前第三ないし第四において詳述したごとく、原告の訴える諸症状について、必ずしも本件事故との医学的因果関係が明らかではなく、かつ相当程度に心因性の加重が見られ、本件証拠の上からは、事故後半年間の間を除いては、身体の器質的損傷に由来し、かつ原告の労働能力に影響を及ぼす程度の症状が存続したと認めることはできないのである。

しかしながら、言うまでもなく、このことは原告の慰藉料の算定基礎として、事故後半年間の事情のみを考慮すれば足りることを意味しない。前第四の一、二において詳述したごとく、終局的にはそれに基く(逸失利益損害)は、本件不法行為との相当因果関係を否定されるにしても、原告の訴え続けた症状の相当部分は、単なる詐病とは解されず、原告自身としては、着実にその苦痛を感じていたことが推認されるのであり、その事実そのものは本件事故と自然的因果関係を有する以上、右症状の発現における賠償性の機転の重要性をうかがわせる前第四の二2のに認定したような事情と合わせつつも、なお慰藉料算定の基礎となる事情として考えるべきものである。

右のような見地から、前記認定にかかる原告の受傷程度、入通院治療の経過、自覚症状の程度並びにその性格、個人タクシー廃業の事実、原告の年令、経済的不利益の程度等々、並びにその他本件証拠上認められる諸般の事実に鑑み原告に対する慰藉料としては金八〇万円が相当であると認める。

第七損害の一部弁済

被告会社が原告に対し本件事故に基く損害の弁済として金二八万円を支払つていることについて、当事者間に争いがない。

第八結論

被告らは各自、前第一に述べたごとく、自賠法三条、並びに民法七〇九条に基き前記逸失利益四〇万円、慰藉料八〇万円の合計額より、前項の弁済金二八万円を控除した残額九二万円、および、これに対する本件事故発生の後である昭和四四年一月二五日から支払ずみに至るまで、民事法定利率年五分の割合による遅延損害金を支払わなければならない。

訴訟費用の負担につき民訴法八九条九二条を、仮執行、同免脱の宣言につき同法一九六条を適用する。(本井巽 中村行雄 小田耕治)

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